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nkmn@memo『メモのはしきれ』

生産性のない話やメモをただただしている。 

nkmn@memo

2024年6月17日の投稿2件]

00:59

#なう >>1465
こんなこと書いてるけど、やっぱ心の芯みたいなものは図太くて
全然折れてやれない部分って、い~~っぱいある。
あるからようやっと出来ることも、多分たくさん。
自分を守ってやらないと、どんどん息ができなくなっていく。

流されやすくて影響を受けやすく、すぐに折れてしまう私の中で
唯一健全に機構としてまわってる部分が、そこに集約されている。
そういう絶対に曲げられない部分が、わたしの生きづらさ。
ここを軌道修正するのは、ここまで随分時間がかかっているし
いっぱい傷を見せてきたなと思う。苦しいこともままあった……

うまくやれてる、そう思われてるなら幸いで
見逃してくれてる、ならありがとうとも思っている。
この頃は、そこと対面しては、一喜一憂したりもする。

とはいえ、基本的に他の誰かの信条は曲げずに沿っていきたいし、
合わないなら離れていこうという気持ちもあるし。
そうして折ってきたものだってたくさんある。

あるうえで、もう後悔したくないんだ……
後悔させないでほしいから、やらないこともある。
ぶつかるのは苦手。自分でこれ以上折ることができない部分があるから。
嫌なら放っておいてほしい。嫌いになりたくないから。
そうならないように自ら手折って、諦めてきた大切なものが無数にあるから。

このぐらいは、意固地にならせてほしいな、とおもう。
こうしないと守れないものが、たくさんある。ほんとうにたくさん。

時々、疲れたな…と天を仰いだりしている。
長いおやすみ期間をもらっているはずなんですけどね。とじる


生きるとは、傷を伴う延命処置であること。
そのうえで、幸せだなって想い、とどめること。

720文字 No.1466いま

00:48

おもうこと。 #なう
私は何かを作っている訳ではないし、作品としてのまとまりなんて全然なくて。
相変わらず「自分の絵がうまい」なんて思えないままでいるけれど。
そこに価値を見出してくれるひとがいるから絵が描ける…
そこにあっていいよと言ってくれるひとがいるから描き続けられている。

時々欲目として絵でなにかできないかな、とか。
何かしてあげられやしないか、と立ち上がってみるけれど
それは、そこにいる「だれか」の途方もないエネルギーをお借りしているだけ。
私の力なんて大したもんじゃない、驕ってはいけないと、いつも思う。

わたしはやっぱり何かを作る人がずっと好きだし
そこには大きな愛みたいなものがあるけれど。
ようやっとで応援できるのが、絵と想いくらいのもので
言葉なんか邪魔になることの方が多い、自分の存在そのものも。

絵のことは多分ずっと好き。描くのも、見るのも。
でも、自分だけで愛することってそんなに向いてない。
多分ひとはもっと膨大な何かを持ってものを作っていて、
それにあこがれ続けている。今もまだ、ずっと。
届かない星みたいなきもち。

自分がどこにあるか、彷徨う日がある。
だからこそ、誰かのパーツでありたい。そうあれたら、幸せ。

527文字 No.1465いま

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