nkmn@memo No.1324 2023/09/27 01:24 TRPGをやると自分のつくる言葉のざらつきみたいなもの(意地悪さとか)にウーンと悩むことがままある。これはある場面ではユーモアだし、物語を動かすための問いかけであったりし、それこそキャラを作るだけなら一人音頭恥ずかしいだけで済むところ…なのだけど。こと、対人、交流となると本当に良かったのかな、大丈夫だったのだろうか、とか。相手から返ってくるものがあるぶん(もしくは無いを選ばれることもあるぶん)、どう受け取られただろうか、これは正しいことだったのだろうか、という部分にぶつかって唸る。わたしは、遠見が苦手だ。手近なものを直接みて、さわって、かんじたり。エコーロケーションみたいに自分の発したものをキャッチしているのだと思う。返ってきたかたちを解釈して反芻することでしか想像することができない。自分がどんなものを発しているか、という事にすごく疎い気がする。要は外見を意図的に形をつくるのが、苦手だ。これが前述の「どう受け取られたか」への羞恥にもつながっている。わたしはわたしなりの頭では悩み続けていて、でも全然わかんなくて。結局、私の中での誠意をもって、精一杯をするのが一番だ、に落ち着いてはいるんだけれど。どんなに歪で気持ち悪くて人に不快感を与えるような虫けらであろうが。正しく考えた道を進むべき、と理性では考えているんだけれど……なんというか、それを褒められると不安になる。すごく不安になる。図に乗って飛び掛かっていないかとか、自分が虫であることに気付けなくなっていないかとか。そう、わたしが、虫であることは、案外褒められることが多い。そうでなければ、私ではないということも感じる。価値も感じてはいる。でも虫なんだよな。フワフワでもうさぎにはなれない。ただ、野で草を食んでいるだけだった虫が、ただ生きていただけの虫が。人間のなかにいるとき、もてはやされたり、気持ち悪がられたりする。それはすごく私にとっては難しく、わからないし、ことによっては、知りたくもないことだったりする。ああ、でも、人間 好きなんだよな。 大切にしてもらえることも、うれしいし。それがまた、非常に、困るところなんだよな……異常繁殖して不快にさせたいわけではないからさ…… 959文字 No.1324いま もどる 全年月 (1459)2024年 (108)2024年07月 (1)2024年06月 (17)2024年05月 (12)2024年04月 (17)2024年03月 (18)2024年02月 (19)2024年01月 (24)2023年 (401)2023年12月 (12)2023年11月 (16)2023年10月 (7)2023年09月 (52)2023年08月 (25)2023年07月 (37)2023年06月 (34)2023年05月 (41)2023年04月 (32)2023年03月 (42)2023年02月 (47)2023年01月 (56)2022年 (560)2022年12月 (36)2022年11月 (46)2022年10月 (49)2022年09月 (59)2022年08月 (46)2022年07月 (75)2022年06月 (54)2022年05月 (53)2022年04月 (48)2022年03月 (42)2022年02月 (28)2022年01月 (24)2021年 (384)2021年12月 (55)2021年11月 (39)2021年10月 (50)2021年09月 (57)2021年08月 (54)2021年07月 (68)2021年06月 (61)2017年 (6)2017年12月 (3)2017年11月 (3)新しい順(降順)時系列順(昇順) (カテゴリを選択)メモ (17)音楽 (93)作業 (132)鑑賞 (99)遊び (30)いま (1131)物置 (17) (ハッシュタグを選択) なう (143) 作業BGM (60) 感想 (60) メモ (46) 絵 (25) 読みログ (20) vrchat (16) 虚構作劇界 (13) 走り書き (8) 使い方 (6) yume (5) ごはん (5) ハグルマシティ (2) なう (1) ご挨拶 (1) Space in タグ (1) Powered by てがろぐ Ver 4.1.0.
2023/09/27 01:24
TRPGをやると自分のつくる言葉のざらつきみたいなもの(意地悪さとか)にウーンと悩むことがままある。これはある場面ではユーモアだし、物語を動かすための問いかけであったりし、
それこそキャラを作るだけなら一人音頭恥ずかしいだけで済むところ…なのだけど。
こと、対人、交流となると本当に良かったのかな、大丈夫だったのだろうか、とか。
相手から返ってくるものがあるぶん(もしくは無いを選ばれることもあるぶん)、
どう受け取られただろうか、これは正しいことだったのだろうか、という部分にぶつかって唸る。
わたしは、遠見が苦手だ。
手近なものを直接みて、さわって、かんじたり。
エコーロケーションみたいに自分の発したものをキャッチしているのだと思う。
返ってきたかたちを解釈して反芻することでしか想像することができない。
自分がどんなものを発しているか、という事にすごく疎い気がする。
要は外見を意図的に形をつくるのが、苦手だ。
これが前述の「どう受け取られたか」への羞恥にもつながっている。
わたしはわたしなりの頭では悩み続けていて、でも全然わかんなくて。
結局、私の中での誠意をもって、精一杯をするのが一番だ、に落ち着いてはいるんだけれど。
どんなに歪で気持ち悪くて人に不快感を与えるような虫けらであろうが。
正しく考えた道を進むべき、と理性では考えているんだけれど……
なんというか、それを褒められると不安になる。すごく不安になる。
図に乗って飛び掛かっていないかとか、自分が虫であることに気付けなくなっていないかとか。
そう、わたしが、虫であることは、案外褒められることが多い。
そうでなければ、私ではないということも感じる。価値も感じてはいる。
でも虫なんだよな。フワフワでもうさぎにはなれない。
ただ、野で草を食んでいるだけだった虫が、ただ生きていただけの虫が。
人間のなかにいるとき、もてはやされたり、気持ち悪がられたりする。
それはすごく私にとっては難しく、わからないし、
ことによっては、知りたくもないことだったりする。
ああ、でも、人間 好きなんだよな。
大切にしてもらえることも、うれしいし。
それがまた、非常に、困るところなんだよな……
異常繁殖して不快にさせたいわけではないからさ……