nkmn@memo No.291 2021/10/27 16:42 とはいえ、攻殻機動隊は現行序盤までしか見ていないし過去通しで見たときもどっぷりハマって見てたというよりも雑多にいろいろ見てたうちのひと作品って立ち位置なので若干ズレた感想になっているかもしれない…… #感想あっタチコマはかわいいです、タチコマちゃんかわいいね…機械に心はあるのか?みたいな部分って確かすごく日本的な文化なんですよね。海外だとSFというのは機械に支配される系の創作物が多いと聞く。(※この話を聞いたのも2008年とかなのでもう若干古い考えかもしれないが!)これって物に魂を見る、日本人の価値観というか宗教観に基づく感覚という話があって。日本の神様は災いも起こすし、福も招き入れる結構信用ならない存在。自然は敵ではなく、神の所業であるとしていなしてきた感じというか…神のいうことは絶対っていうキリスト教圏とはどうやら創作基盤も違うようす。神に反逆するのが機械であるならば、機械に神を見出すのが日本的……といえるのかも。なんていうかこういうお話で日本文化の根っこが見えるの面白いんですよね。私が好きな表現に「日本人は無宗教だけど、お地蔵さまを蹴飛ばせない」みたいなのがあります。これってすごく文化で宗教なんですよね。なんとなく祟られる気がする、こわいな、何かあるかも…みたいな感覚的な部分。もちろんそれを感じない人もいて、そういう人が世界を更新していくんですけどそれはそれとして、やっぱりなんかそこに魂を感じる人がいてほしいと思う。こういうのって、痛みへの恐怖と同じような ある種の安全装置で、全員が崖から落ちないようにする為の機構だとおもうんですよね。皆が皆、先陣を切っていたら生き残れないみたいなこと……魂の在処というのは、何かのセーフティなんじゃないかって思うのです。バーチャルという文化が育まれている現代で、これもまた何か大事なキーになるのではないかとか。 817文字 No.291鑑賞 もどる 全年月 (1458)2024年 (107)2024年06月 (17)2024年05月 (12)2024年04月 (17)2024年03月 (18)2024年02月 (19)2024年01月 (24)2023年 (401)2023年12月 (12)2023年11月 (16)2023年10月 (7)2023年09月 (52)2023年08月 (25)2023年07月 (37)2023年06月 (34)2023年05月 (41)2023年04月 (32)2023年03月 (42)2023年02月 (47)2023年01月 (56)2022年 (560)2022年12月 (36)2022年11月 (46)2022年10月 (49)2022年09月 (59)2022年08月 (46)2022年07月 (75)2022年06月 (54)2022年05月 (53)2022年04月 (48)2022年03月 (42)2022年02月 (28)2022年01月 (24)2021年 (384)2021年12月 (55)2021年11月 (39)2021年10月 (50)2021年09月 (57)2021年08月 (54)2021年07月 (68)2021年06月 (61)2017年 (6)2017年12月 (3)2017年11月 (3)新しい順(降順)時系列順(昇順) (カテゴリを選択)メモ (17)音楽 (93)作業 (132)鑑賞 (99)遊び (30)いま (1130)物置 (16) (ハッシュタグを選択) なう (143) 作業BGM (60) 感想 (60) メモ (46) 絵 (24) 読みログ (20) vrchat (16) 虚構作劇界 (13) 走り書き (8) 使い方 (6) yume (5) ごはん (5) ハグルマシティ (2) なう (1) ご挨拶 (1) Space in タグ (1) Powered by てがろぐ Ver 4.1.0.
2021/10/27 16:42
とはいえ、攻殻機動隊は現行序盤までしか見ていないし過去通しで見たときもどっぷりハマって見てたというよりも
雑多にいろいろ見てたうちのひと作品って立ち位置なので
若干ズレた感想になっているかもしれない…… #感想
あっタチコマはかわいいです、タチコマちゃんかわいいね…
機械に心はあるのか?みたいな部分って確かすごく日本的な文化なんですよね。
海外だとSFというのは機械に支配される系の創作物が多いと聞く。
(※この話を聞いたのも2008年とかなのでもう若干古い考えかもしれないが!)
これって物に魂を見る、日本人の価値観というか宗教観に基づく感覚という話があって。
日本の神様は災いも起こすし、福も招き入れる結構信用ならない存在。
自然は敵ではなく、神の所業であるとしていなしてきた感じというか…
神のいうことは絶対っていうキリスト教圏とはどうやら創作基盤も違うようす。
神に反逆するのが機械であるならば、機械に神を見出すのが日本的……といえるのかも。
なんていうかこういうお話で日本文化の根っこが見えるの面白いんですよね。
私が好きな表現に「日本人は無宗教だけど、お地蔵さまを蹴飛ばせない」みたいなのがあります。
これってすごく文化で宗教なんですよね。
なんとなく祟られる気がする、こわいな、何かあるかも…みたいな感覚的な部分。
もちろんそれを感じない人もいて、そういう人が世界を更新していくんですけど
それはそれとして、やっぱりなんかそこに魂を感じる人がいてほしいと思う。
こういうのって、痛みへの恐怖と同じような ある種の安全装置で、
全員が崖から落ちないようにする為の機構だとおもうんですよね。
皆が皆、先陣を切っていたら生き残れないみたいなこと……
魂の在処というのは、何かのセーフティなんじゃないかって思うのです。
バーチャルという文化が育まれている現代で、これもまた何か大事なキーになるのではないかとか。