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nkmn@memo『メモのはしきれ』

生産性のない話やメモをただただしている。 

nkmn@memo

No.596

20:14

舞台「彼女を笑う人がいても」を見ている…!
【あらすじ】
雨音。
1960年6月16日。黒い傘をさした人々が静かに集まってくる。人々はゆっくり国会議事堂に向かって歩き出す。

2021年、新聞記者の伊知哉は自分の仕事に行き詰まっていた。入社以来、東日本大震災の被災者の取材を続けてきたが、配置転換が決まって取材が継続できなくなってしまったのだ。そんなとき、伊知哉は亡くなった祖父・吾郎もかつて新聞記者であったことを知る。彼が新聞記者を辞めたのは1960年、安保闘争の年だった。

1960年、吾郎は安保闘争に参加する学生たちを取材していた。闘争が激化する中、ある女子学生が命を落とす。学生たちとともに彼女の死の真相を追う吾郎。一方で、吾郎のつとめる新聞社の上層部では、闘争の鎮静化に向けた「共同宣言」が準備されつつあった。

吾郎の道筋を辿る伊知哉。報道とは何か。本当の“声なき声”とは何か。やがて60年以上の時を経て、ふたりの姿は重なっていく。
https://setagaya-pt.jp/performances/2021...

https://natalie.mu/stage/news/456262

安保闘争、80~90年代の舞台ではちょこちょこテーマになっているイメージがある。
学生デモのおはなし、暴動にも似たいきすぎた活動。
それに加えてよく聞くのは「あれは失敗だった」というおはなし。
けれどその実態はよく知らない。
ただそれに影響を受けた作品がいくつかあるのを知っているだけ。
近くも遠いような歴史のはなし。

 90年代に入ると舞台は地下鉄サリン事件のような題材にそれは取って代わった気がする。
 「世の中は間違っている」「世の中を変える」
 学生時代に湧き上がる何かがあるのかもしれないけれど…

 どこの話で聞いたんだったか。
  エヴァをはじめとする00年代付近のセカイ系の流行は、
 学生がひっくり返そうとした「社会」という存在が空虚だとわかった時に、
 どうしようもない「社会」への熱が、一個人に向かった結果生まれ流行ったのだとか。


今このテーマをやろうと思ったのはなぜだろう…
これを通し報道の是非を問いかけようとする理由は…
ひと時代、ふた時代経った、過去の時代と、
コロナや震災、今の時代がクロスするのがこの舞台。

おなじ安保の話であるつかさんの飛龍伝はキャストをかえながら未だ再演されているけれど、
ここを繋ぐリンクはすごく遠いところにあるんじゃないか、とおもう。
だからこそ、なのかな と個人的には思っている…
新聞記者を主人公にした、外縁のおはなし。彼女のおはなし…

1118文字 No.596鑑賞

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