nkmn@memo No.1738 2026/02/28 07:21 始末が悪いのはわかるし、そこの批判は当然として… こういう炎上騒ぎのなか思うのは「燃やしているそこに当事者はいるのか?」ということだよなぁ 後始末を背負わされている人たちがいるだけなのではないか… 果たしてそれを消し炭にするまで燃やすことに意味があるのか。 結果的にそれを見る野次馬しかいなくて、空っぽの空洞があるだけになるんじゃないか。 しかもこういう時に残っているのって大抵当事者じゃなくて そこで生きている作家やそれを守らなきゃいけない編集者のひとたちが大半なわけで。 火事場に火を投げ込んで面白がってコンテンツにしているのを見ると暗澹たる気持ちになる。 それこそ、この騒ぎを燃やすだけなら、加害するのとそこまで変わりなくないか? つづき作家としてここではやりませんと宣言するのは、まず当然の権利というのを前提として それは保身にしかなっていないのではないのかという気持ちもほんのりある 戦うなら今こそ筆を置くのではなく筆を執るべきなのでは その場で何かを描くことで表すことができるのではないか、などと 考えてしまうのはなんか~ 怒りなんだろうな、これも。 正当性はない意見だと思いつつ、それに対する感情はあるよね。とじる 今やるべきことは公式の表明だとか、作家たちへの支援のほうなのではないか? 傷ついたことへの表明ではなくて、何をどうするべきかじゃないか。 作らないことに意味はあるのか、むしろなにかを作るべきではないのか…? そんなことを同時に考えてしまうのだよな。 言えた立場じゃない、言えた立場じゃないのだが。 傷ついている人たちを見るたびにふつふつと思うものがあってしまうよ。 695文字 No.1738いま もどる 全年月 (1731) 2026年 (31) 2026年03月 (6) 2026年02月 (14) 2026年01月 (11) 2025年 (132) 2025年12月 (5) 2025年11月 (5) 2025年10月 (3) 2025年09月 (3) 2025年08月 (5) 2025年07月 (17) 2025年06月 (15) 2025年05月 (19) 2025年04月 (15) 2025年03月 (17) 2025年02月 (8) 2025年01月 (20) 2024年 (217) 2024年12月 (13) 2024年11月 (14) 2024年10月 (15) 2024年09月 (27) 2024年08月 (23) 2024年07月 (18) 2024年06月 (17) 2024年05月 (12) 2024年04月 (17) 2024年03月 (18) 2024年02月 (19) 2024年01月 (24) 2023年 (401) 2023年12月 (12) 2023年11月 (16) 2023年10月 (7) 2023年09月 (52) 2023年08月 (25) 2023年07月 (37) 2023年06月 (34) 2023年05月 (41) 2023年04月 (32) 2023年03月 (42) 2023年02月 (47) 2023年01月 (56) 2022年 (560) 2022年12月 (36) 2022年11月 (46) 2022年10月 (49) 2022年09月 (59) 2022年08月 (46) 2022年07月 (75) 2022年06月 (54) 2022年05月 (53) 2022年04月 (48) 2022年03月 (42) 2022年02月 (28) 2022年01月 (24) 2021年 (384) 2021年12月 (55) 2021年11月 (39) 2021年10月 (50) 2021年09月 (57) 2021年08月 (54) 2021年07月 (68) 2021年06月 (61) 2017年 (6) 2017年12月 (3) 2017年11月 (3) 新しい順(降順)時系列順(昇順) (カテゴリを選択)メモ (17)音楽 (108)作業 (156)鑑賞 (105)遊び (41)いま (1375)物置 (21)ご依頼 (0)TRPG (2) (ハッシュタグを選択) なう (162) 感想 (73) 作業BGM (67) メモ (53) 読みログ (34) 絵 (32) vrchat (17) もやもや (14) けんこう (14) 虚構作劇界 (13) ホロばな (11) 走り書き (8) yume (7) 使い方 (6) ごはん (5) ハグルマシティ (2) ご挨拶 (1) Space in タグ (1) Powered by てがろぐ Ver 4.6.0.
2026/02/28 07:21
始末が悪いのはわかるし、そこの批判は当然として…こういう炎上騒ぎのなか思うのは「燃やしているそこに当事者はいるのか?」ということだよなぁ
後始末を背負わされている人たちがいるだけなのではないか…
果たしてそれを消し炭にするまで燃やすことに意味があるのか。
結果的にそれを見る野次馬しかいなくて、空っぽの空洞があるだけになるんじゃないか。
しかもこういう時に残っているのって大抵当事者じゃなくて
そこで生きている作家やそれを守らなきゃいけない編集者のひとたちが大半なわけで。
火事場に火を投げ込んで面白がってコンテンツにしているのを見ると暗澹たる気持ちになる。
それこそ、この騒ぎを燃やすだけなら、加害するのとそこまで変わりなくないか?
作家としてここではやりませんと宣言するのは、まず当然の権利というのを前提として
それは保身にしかなっていないのではないのかという気持ちもほんのりある
戦うなら今こそ筆を置くのではなく筆を執るべきなのでは
その場で何かを描くことで表すことができるのではないか、などと
考えてしまうのはなんか~ 怒りなんだろうな、これも。
正当性はない意見だと思いつつ、それに対する感情はあるよね。とじる
今やるべきことは公式の表明だとか、作家たちへの支援のほうなのではないか?
傷ついたことへの表明ではなくて、何をどうするべきかじゃないか。
作らないことに意味はあるのか、むしろなにかを作るべきではないのか…?
そんなことを同時に考えてしまうのだよな。
言えた立場じゃない、言えた立場じゃないのだが。
傷ついている人たちを見るたびにふつふつと思うものがあってしまうよ。