No.854
名著が民俗学系だったのでぽやぽや考えていた。
実感がだいじにされない世の中で、実感をだいじに生きることについて。
わかりやすいもので言えばレビュー。
数字ではなく、その瞬間の楽しみを大事にすることがたいせつだったり。
その経験というのは得難いなにがしかであると……
逆をいうならプラシーボ。
本来体に効果がないと、言われてしまう事柄について。
それでも事実として身体にはいい作用があって
薬の作用でないにしろ、実感というものは存在しているってこと。
雑に括れば危険だと言われがちなことだけど、
まれびと的な、神がかり的なこと、神事だとか。
文化的錯覚は何かしら、大事なキーになっているんじゃないか…
というのが、たぶん、民俗学に繋がるまなざしなのでは ないか?
文化というのは往々にして言語化し難い実感と隣り合わせに根付いている。
芸術の分野も割とちかいところにあるのではないかと、思ったりもする。
絵を描くことへの敬虔さ、多分大部分の見る人には知ったこっちゃないのかも。
でもそれがあるからこそ 価値って生まれるものではないかしら、とかね。
両立して語るのって難しい。
でも丁寧に織ってゆかねばいかんとこでもあるのじゃろうな。
実感がだいじにされない世の中で、実感をだいじに生きることについて。
わかりやすいもので言えばレビュー。
数字ではなく、その瞬間の楽しみを大事にすることがたいせつだったり。
その経験というのは得難いなにがしかであると……
逆をいうならプラシーボ。
本来体に効果がないと、言われてしまう事柄について。
それでも事実として身体にはいい作用があって
薬の作用でないにしろ、実感というものは存在しているってこと。
雑に括れば危険だと言われがちなことだけど、
まれびと的な、神がかり的なこと、神事だとか。
文化的錯覚は何かしら、大事なキーになっているんじゃないか…
というのが、たぶん、民俗学に繋がるまなざしなのでは ないか?
文化というのは往々にして言語化し難い実感と隣り合わせに根付いている。
芸術の分野も割とちかいところにあるのではないかと、思ったりもする。
絵を描くことへの敬虔さ、多分大部分の見る人には知ったこっちゃないのかも。
でもそれがあるからこそ 価値って生まれるものではないかしら、とかね。
両立して語るのって難しい。
でも丁寧に織ってゆかねばいかんとこでもあるのじゃろうな。