nkmn@memo No.1594 2025/01/16 03:03 「日本怪奇ルポルタージュ」大阪二児置き去り死事件#感想 https://tver.jp/episodes/ep7tv94jx8 事件として容認できないとか、許されないことだっていうのは大前提として… それでもこのルポルタージュの光の照らし方は、だからこそ逆側を照らす、 「誰にでも起こりうるかもしれない」母の弱さを描いてたのが印象的…というか。 取材してきた方のまなざしは平等ですごく優しいな、というのを感じましたね。 正直、私もこの過剰適応や逃避の形は他人事とは思えない… 自分が同じ立場であった時にどうだろうと考えた時に、全然わからないと言えない。 人ってそういう風に追い込まれることがある、正当化せざるを得ない状況になる、 この状態はわかってしまう、響くものがあると思ってしまうんだよな…… 誰にも頼れない状況があり、理解のなさがあり、共感のなさがあり。 「きらきらした自分でなければ」社会に存在してはいけないような強迫観念。 すべてを通して「心の居所のなさ」を感じたりもします。 どうしようもなく追い込まれたとき、ひとは社会から零れ落ちてしまう… それを責められないな、という気持ちが私には……あってしまうかも。 最後に彼女が見つかった時のはなし。 子供が死んだの見て、神戸でドライブをしていたはなし。 「悲しいことがあった」と相談していたというのが印象的で…… そこにどういう想いが内在していたんだろうというのを考えてしまう。 「今でもこれからも子供たちのことを愛している」 これが本人の意志なのか、それとも外に向けた「正しい」自分の姿なのか、 それは彼女にしかわからないことだろうけれど…… 獄中におられる今、かけられた呪いが解けているといいなとも、思います。 741文字 No.1594いま もどる 全年月 (1731) 2026年 (31) 2026年03月 (6) 2026年02月 (14) 2026年01月 (11) 2025年 (132) 2025年12月 (5) 2025年11月 (5) 2025年10月 (3) 2025年09月 (3) 2025年08月 (5) 2025年07月 (17) 2025年06月 (15) 2025年05月 (19) 2025年04月 (15) 2025年03月 (17) 2025年02月 (8) 2025年01月 (20) 2024年 (217) 2024年12月 (13) 2024年11月 (14) 2024年10月 (15) 2024年09月 (27) 2024年08月 (23) 2024年07月 (18) 2024年06月 (17) 2024年05月 (12) 2024年04月 (17) 2024年03月 (18) 2024年02月 (19) 2024年01月 (24) 2023年 (401) 2023年12月 (12) 2023年11月 (16) 2023年10月 (7) 2023年09月 (52) 2023年08月 (25) 2023年07月 (37) 2023年06月 (34) 2023年05月 (41) 2023年04月 (32) 2023年03月 (42) 2023年02月 (47) 2023年01月 (56) 2022年 (560) 2022年12月 (36) 2022年11月 (46) 2022年10月 (49) 2022年09月 (59) 2022年08月 (46) 2022年07月 (75) 2022年06月 (54) 2022年05月 (53) 2022年04月 (48) 2022年03月 (42) 2022年02月 (28) 2022年01月 (24) 2021年 (384) 2021年12月 (55) 2021年11月 (39) 2021年10月 (50) 2021年09月 (57) 2021年08月 (54) 2021年07月 (68) 2021年06月 (61) 2017年 (6) 2017年12月 (3) 2017年11月 (3) 新しい順(降順)時系列順(昇順) (カテゴリを選択)メモ (17)音楽 (108)作業 (156)鑑賞 (105)遊び (41)いま (1375)物置 (21)ご依頼 (0)TRPG (2) (ハッシュタグを選択) なう (162) 感想 (73) 作業BGM (67) メモ (53) 読みログ (34) 絵 (32) vrchat (17) もやもや (14) けんこう (14) 虚構作劇界 (13) ホロばな (11) 走り書き (8) yume (7) 使い方 (6) ごはん (5) ハグルマシティ (2) ご挨拶 (1) Space in タグ (1) Powered by てがろぐ Ver 4.6.0.
2025/01/16 03:03
事件として容認できないとか、許されないことだっていうのは大前提として…
それでもこのルポルタージュの光の照らし方は、だからこそ逆側を照らす、
「誰にでも起こりうるかもしれない」母の弱さを描いてたのが印象的…というか。
取材してきた方のまなざしは平等ですごく優しいな、というのを感じましたね。
正直、私もこの過剰適応や逃避の形は他人事とは思えない…
自分が同じ立場であった時にどうだろうと考えた時に、全然わからないと言えない。
人ってそういう風に追い込まれることがある、正当化せざるを得ない状況になる、
この状態はわかってしまう、響くものがあると思ってしまうんだよな……
誰にも頼れない状況があり、理解のなさがあり、共感のなさがあり。
「きらきらした自分でなければ」社会に存在してはいけないような強迫観念。
すべてを通して「心の居所のなさ」を感じたりもします。
どうしようもなく追い込まれたとき、ひとは社会から零れ落ちてしまう…
それを責められないな、という気持ちが私には……あってしまうかも。
最後に彼女が見つかった時のはなし。
子供が死んだの見て、神戸でドライブをしていたはなし。
「悲しいことがあった」と相談していたというのが印象的で……
そこにどういう想いが内在していたんだろうというのを考えてしまう。
「今でもこれからも子供たちのことを愛している」
これが本人の意志なのか、それとも外に向けた「正しい」自分の姿なのか、
それは彼女にしかわからないことだろうけれど……
獄中におられる今、かけられた呪いが解けているといいなとも、思います。