No.672
個人的におもうこと。
創作/表現という物は力がありすぎるがゆえに、
政治という大きな力を持ってはいけないのではないだろうか…
ことばは、名もなき民草の文化であることに意味があるのであって、
それが大義のスローガンになった時点で何かがズレてしまう感覚はずっとある。
(もちろん今回のあれそれは、民草を守るために立ち上がった前提があり、そこは大事なんだけどもね。)
キャッチコピーというものが人々にとって実にわかりやすく。
なにか大事な物をすっ飛ばして、わかった気にさせてしまうように…
強い力は恐れられる対象になり、時に暴力になることもある。
創作もそういう危うさをはらんだものであるがゆえに。
ある種の偏見を切り抜き楽しむものでもあったりすることがあるがゆえに。
せめて「表現は自由であるべき=表現を受け取るには責任がつきまとう」
という図式は結構、結構、しっかりと根付かせておらねばいかんのではないかな。
表現を掲げ政治をする、というのはそういうことではなかろうか。
表現が押しきせや不作法になった時点で負けなんだ……
創作/表現という物は力がありすぎるがゆえに、
政治という大きな力を持ってはいけないのではないだろうか…
ことばは、名もなき民草の文化であることに意味があるのであって、
それが大義のスローガンになった時点で何かがズレてしまう感覚はずっとある。
(もちろん今回のあれそれは、民草を守るために立ち上がった前提があり、そこは大事なんだけどもね。)
キャッチコピーというものが人々にとって実にわかりやすく。
なにか大事な物をすっ飛ばして、わかった気にさせてしまうように…
強い力は恐れられる対象になり、時に暴力になることもある。
創作もそういう危うさをはらんだものであるがゆえに。
ある種の偏見を切り抜き楽しむものでもあったりすることがあるがゆえに。
せめて「表現は自由であるべき=表現を受け取るには責任がつきまとう」
という図式は結構、結構、しっかりと根付かせておらねばいかんのではないかな。
表現を掲げ政治をする、というのはそういうことではなかろうか。
表現が押しきせや不作法になった時点で負けなんだ……