No.826
ロールのたのしいところは、たくさんのその人の言葉がきけることだったな。
定期ゲだとひとがおおすぎる、使う遊び方も言語もちがう。
そういうなかで、ある程度の共通言語や異種言語を駆使しつつ、
小さい卓のうえで言葉を交わし合う関係というのは結構好きな行為であった。
それこそ雪崩のように3日に1回ペースでこなしていた時期は、
言語の洪水で頭がぐちゃぐちゃになって身体が半分に削れるくらいの圧で。
それだけの力を振り絞ってもなお、立っていられた楽しさがあった。
代償も多分それなりに払ったとおもうけど、経験は唯一無二だな。
わざわざ地獄に足を踏み入れようなんて思う人はいないだろうけど
災害に見舞われるようなこと=どんちゃん騒ぎのお祭り=嵐 のような。
天災ともいえるようなムーブメントはやはり貴重であるとおもう。
故にこそ生まれるものがあり、だからこそ駆り立てられるものもある。
毎日がそれではまるで成り立たないけど、
そういう中で言葉を発さざるを得ない状態というのは、
なまった身体にはちょうどよかったのかもしれない。
日々、緩慢に生み出し続けるのはすこし苦しい。
嵐に日々見舞われるのは並大抵のことではないとおもう。
けれど自発的に湧き上がるものに訥々と向き合うような姿は美しいなともおもう。
定期ゲだとひとがおおすぎる、使う遊び方も言語もちがう。
そういうなかで、ある程度の共通言語や異種言語を駆使しつつ、
小さい卓のうえで言葉を交わし合う関係というのは結構好きな行為であった。
それこそ雪崩のように3日に1回ペースでこなしていた時期は、
言語の洪水で頭がぐちゃぐちゃになって身体が半分に削れるくらいの圧で。
それだけの力を振り絞ってもなお、立っていられた楽しさがあった。
代償も多分それなりに払ったとおもうけど、経験は唯一無二だな。
わざわざ地獄に足を踏み入れようなんて思う人はいないだろうけど
災害に見舞われるようなこと=どんちゃん騒ぎのお祭り=嵐 のような。
天災ともいえるようなムーブメントはやはり貴重であるとおもう。
故にこそ生まれるものがあり、だからこそ駆り立てられるものもある。
毎日がそれではまるで成り立たないけど、
そういう中で言葉を発さざるを得ない状態というのは、
なまった身体にはちょうどよかったのかもしれない。
日々、緩慢に生み出し続けるのはすこし苦しい。
嵐に日々見舞われるのは並大抵のことではないとおもう。
けれど自発的に湧き上がるものに訥々と向き合うような姿は美しいなともおもう。